ライプニッツによる風車小屋の思考実験
17世紀のドイツの哲学者ライプニッツが著書『モナドロジー』の中で、風車小屋を引き合いに出して行った次のような論証がある。
ここで使われている言葉は少々歴史じみているが、表象という言葉が、おおよそ意識という言葉と対応する。この風車の議論から、ライプニッツは、モナド(ライプニッツが存在すると仮定した、それ以上分割することができない、この世界の最小構成要素)の内的な性質、として表象を位置づけていく。
20世紀前半、哲学者バートランド・ラッセルが『物質の分析』(1927年)を中心に様々な著作の中で展開した議論の中にも、同種の議論が見られる。ラッセルは物理学はどのようなものか、ということの分析を行う中で、物理学は対象と対象の間にどのような関係があるかを扱うが、そうした関係をもつ当の対象の内在的性質が扱えない、とし、物理学が行う世界の記述を外形的なもの、「世界の因果骨格」を扱ったものだとした。
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20世紀中盤、哲学者ソール・クリプキが行った、神様の世界創造を喩えに用いた論証がある。この論証はクリプキの講義録『名指しと必然性』の最終章に収録されているもので、これはしばしば様相論法と呼ばれる。以下のようなものである。
神様が世界を作ったとする。神様は、この世界にどういう種類の粒子が存在し、かつそれらが互いにどう相互作用するか、そうした事をすべて定め終わったとする。さて、これで神様の仕事は終わりだろうか?いや、そうではない。神様にはまだやるべき仕事が残されている。神様はある状態にある感覚が伴うよう定める仕事をしなければならない。